History of Origin

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京都における初期の歴史

日本伝統芸術のアートプログラムの歴史は、1976年、京都郊外亀岡にある大本ファウンデーションが日本伝統芸術学苑を創設したときにさかのぼります。その創設者たちは、美術収集家のデヴィッド・キッド、大本の教主、出口直日、ニューヨークの聖ヨハネ大聖堂のモートン、そしてバックミンスター・フラーです。学苑は、日本の芸術を一つの美しい環境のなかで総合的に教えることを試みた初めてのプログラムでした。そして20年余の間に世界に多くの卒業生を送りだしました。彼等の人生は大本の日本伝統芸術学苑での経験により大きく変わりました。

この20年間に、現代人に伝統芸術を教えるユニークな方法を開発してきました。私は学苑の創設以来マネジャーとして運営に携わりました。1997年に閉校した後は、そのアプローチを発祥の地である日本のみならずタイなどアジアの国々で、復活させるのが私の夢になりました。
そしてようやく2000年代の始めにタイと日本で新しい形のアートプログラムが発足しました。

タイは「オリジンアートプログラム」、日本は「日本伝統芸術のアートプログラム」という名前で活動しています。

大本学院

                                     デイヴィッド・キッドの夢

下記の一文は、1980年代に行われたデイヴィッド・キッドのインタビューからの 引用です。

私は燃えている家の中にいます。中国の宮殿内の邸宅です。どうやら図書館 か書斎か、何か保管所の中のようです。絶滅した木の木材で作られた家具は 呼吸をしています。燃え盛る火の轟音は大きくなてきました。部屋の隅には精 巧な作りの一対の書棚があります。雲母の象眼細工を施した立派な漆塗りで す。それぞれの書棚には、驚くべき精巧さで彫られた白翡翠の彫り物がついて いますが、その形が何であるか分かりません。

すると、「持てるだけ全てを取りなさい」と大声で叫ぶ声が聞こえました。私が運 べるものだけを取るのは不可能だ、と私は思いました。柱が崩れて床が揺らいで います。そのとき形状不明のものが分かれて、意味を成さなくなったことに気づき ました。それらの体系が喪失されると、その形は別な価値を呈することしか出来 ないのです。

二つの現実の解決不能な問題に直面して、私は気づきました。全てか無であ ると。物は救うことが出来ません。

そこで私は目覚めました。解決不能な問題は常に私を目覚めさせます。全く 悪夢です。しかし今はそれにも慣れました。静かな恐怖とでも言うのでしょうか。
 

茶道のクラス、1976

David

デイヴィッド・キッド

 

 

 

 

Japa